編集部
カナダ先住民
Up one levelカナディアン・ロッキーの先住民
カナディアン・ロッキーの地名には先住民の言葉に由来したものが多くあります。タカカウ滝、アサバスカ氷河、サンワプタ峠などなど。
先住民と言ってもいろいろな部族が存在します。タカカウ滝を命名したのはクリー族だし、アサバスカはアサバスカ族のこと。サンワプタはストーニー族の言葉で「荒れた水流」の意味。
カナディアン・ロッキーとその周辺にはどのような先住民がいたのでしょうか。興味があったのでちょっと調べてみました。
まずカナディアン・ロッキーの山岳地帯ですが、昔から先住民が出入りしていたものの自然環境が厳しいため定住はしていなかったようです。
てっきり山間に先住民の村落があったものだっと思っていたのですが、考えてみれば険しい山中よりもふもとや平原の方が食料が豊富で暮らしやすいのは当然ですね。
歴史的にはかなり移動や分裂がありましたが、カナダ建国前はこんな感じだったようです。
- カナディアン・ロッキー東側のふもと
- クリー族
- ストーニー族(ナコタ族)
- カナディアン・ロッキー東側の大平原
- ブラックフット族
- ブラッド族
- ペイガン族
- カナディアン・ロッキーの西側
- クートネイ族
- カナディアン・ロッキーの北方
- アサパスカ族(アサバスカ族)
ブラックフット族、ブラッド族、ペイガン族は言葉と文化を共有し、ブラックフット連合なるものを形成して広大な領域を支配していたとのこと。
ブラックフットという名前はちょっと恐ろしげな印象を受けますが、実際周辺の部族を震え上がらせるほど好戦的な部族だったとか。クリー族とストーニー族は連携してブラックフット連合と敵対関係にあったそうです。
ストーニーは英語名で彼ら自身はナコタと呼んでいます。
ボウバレーにナコタ・ロッジという先住民が経営する立派なリゾートホテルがありますが、ストーニーのことだったのですね〜
なおここでは割愛しましたがその他にもカナディアン・ロッキー周辺には色々な部族が住んでいました。
参考資料:
Pat Kramer. "Native Sites in Western Canada". Altitude Publishing Canada Ltd.
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1万年前からロッキーに定住 クートニー族
最近カナディアン・ロッキーには太古から先住民が出入りしていたものの定住するようになったのは比較的最近と知りましたが、カナディアン・ロッキーの東側に住むクートニー族はもっともっと昔よりこの地に定住していたようです。
『Kootenay National Park』(Bob Hahn著)によると、かつては1700年代とされていたものの、現在では定住が始まったのは1万年以上も前と多くの考古学者によって考えられているとのこと。1万年前と言えば日本で言うと縄文時代の終わりの頃。
うーん、先住民の歴史ってまだあまり解明されていないんですね。自然と共存した生活をしてきたため、あまり人造物のような痕跡を残していないからでしょうか。
ところでクートニー族の本来の名称はクトゥーナーハ(Ktunaxa)で「丘の向こうの人々」の意味。クートニー(クートネイ)というのはクトゥーナーハがなまった発音とのこと。
クートニー国立公園にラジウム・ホットスプリングという温泉がありますが、クートニー族は昔からここを湯治の場としていたようです。残念ながら温泉施設の建設工事により破壊されましたが、かつては温泉の近くに先住民による壁画があり、この温泉が神聖な場であったことを示している可能性があるとか。(しかし破壊とはなんということを…)
神聖と言えばクートニー国立公園にはペイント・ポットという先住民により染料が採取されていた場所があり、ここは現在でも先住民の聖地だそうです。
カナディアン・ロッキーのこうした聖地を巡ってみるのも楽しみ方の一つかも知れません。
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夢の跡
ネットでこんな言葉に出会いました。「人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光。冬の寒さに浮かぶバッファローの白い息。草原を横切り、夕日の中に消えていく小さな影。」 ブラックフット族の族長、クロウフットが死に際して病床で娘に語った言葉だそうです。
クロウフット族長はカナディアン・ロッキーの東の大平原、現在のアルバータ州に生まれました。生涯に19もの戦いを生き抜いた戦士ですが、他の部族や白人との友好と平和に尽力した人物でもあったとのこと。生年1830年、没年1890年。
彼の生きた時代、かつて平原の大地を轟かせていたバッファロー(バイソン)の群れは白人の乱獲により消滅。バッファローを生活の中心に置き、狩猟生活を営んでいた先住民達は苦境に追いやられています。
激動の時代に重責を背負って生きた族長は死に際してなにに思いを馳せたのでしょうか。
"What is life? It is the flash of a firefly in the night. It is the breath of a buffalo in the winter time. It is as the little shadow that runs across the grass and loses itself in the sunset."
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カナダにホタルはいるの?
もう10年近く前になるかな、久しぶりに戻った日本でホタルを見て驚いたことがあります。高校時代の友人と、夜の河原で簡単なバーベキューをしながら一杯やっていたら、闇夜にふわりふわりと光るものが。地元近辺で蛍を見たのはそれが始めて。子供の頃でさえいなかったはず。
各地でホタルの放流も行われているようなので、あの川もそうなのかな。それとも川がきれいになってホタルが自然に戻ったのでしょうか。
ところで先日紹介したカナダ先住民の言葉に「人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光」という一節があります。カナダではホタルを見た事がないのでちょっと調べてみました。
ホタルの光というとてっきり日本固有の風物詩かと思っていたのですが、そうでもないようです。Wikipediaによるとホタルは世界の色々な地域に生息していて種も多様。その数は2000種にものぼるとか。
でも「おもに熱帯から温帯の多雨地域に分布し」とあるのでちょっとカナダは気候的には苦しそう。この言葉の主であるクロウフット族長が住んでいたのはカナディアン・ロッキーの東の大草原。年の平均気温は3.9度と寒い土地柄ですし、かなり乾燥しています。
ここまで来てもしかしてクロウフット族長は実際にはホタルは見ていないのか、あるいは他の地で見たのかとも思い始めたのですが、カナダにも生息することを確認できました。「Firefly Reports from Canada」というページに読者から寄せられたカナダにおける蛍の観測情報が掲載されています。
カナディアン・ロッキーがあるアルバータ州からも何件か報告が寄せられており、湿地付近の草むらに生息しているようです。5月、6月の蒸し暑い夜によく見られ、日没後1時間〜3時間が最も発光が活発とのこと。
「人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光。冬の寒さに浮かぶバッファローの白い息。草原を横切り、夕日の中に消えていく小さな影。」
クロウフット族長が死の床で娘に語った言葉ですが、叙景詩のような美しさを持ちます。ここで人生の比喩となっているのはやはりクロウフット族長が実際に見てきた景色なのでしょう。
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ヤムナスカという山
カルガリーからクルマで街を抜け、ハイウェイを走り、大草原を行くと圧倒的な存在感を持つカナディアン・ロッキーの山並みがぐんぐんと迫ってきます。そしていよいよ本格的に山間部に入るあたりで迎えてくれる山がヤムナスカ。僕の大好きな山のひとつです。
垂直に切り立った崖が作り出す稜線のシルエットに、先住民は人の顔を想像したそうです。むしろ恐竜のぎざぎざの背中のように見える、という文章をどこかでみかけましたが、そう言われればそのようにも見えます。いや、見れば見るほどそのように見えてきます。
このヤムナスカ(Yamnuska)という名称ですが、前にブログでヤムナスカは先住民の言葉で「山々の始まる地」という意味と書いたことがあります。どうやらそれは間違いだったよう。本当は「平らな岸壁」あるいは単に「岸壁」という意味らしいです。先住民の言葉の地名について調べていてわかりました。お詫びして訂正します。
本当は「山々の始まる地」の方が格段にカッコいいので、ちょっと残念。
Yamnuskaの発音はヤムナスカという人とヤムヌスカという人がいますが、少なくとも英語読みではヤムナスカの方が近いです。先住民の言葉の発音はどうなんでしょうね。
キャンモアにYamnuska Mountain Adventureという山岳ガイドの会社がありますが、ここの日本語ページでもヤムナスカとなっています。
ところでこのYamnuska Mountain Adventure、カナディアン・ロッキーの山岳ガイド会社としては大御所で評判のよい会社です。昨年、友人がアシニボインのヘリハイキングに参加したのですが、ガイドの質も内容も良く、素晴らしい体験ができたと感激していました。いつか参加してみたい。
カナディアンロッキーの地名、カナディアンロッキーの人物
レイクルイーズ、エメラルドレイク、コロンビア大氷原… カナディアンロッキーの地名は英語がほとんど。ヨーロッパ人が来る前から先住民が出入りしていた地なので、先住民の言葉による地名が多々あるはずなのに。
確かにヤムナスカ、レイク・ミネワンカ、サンワプタ滝など先住民の言葉による地名もあるのですが、割合としては少ない。もっと多くてしかるべきだと思うのです。
そんなわけでカナディアン・ロッキーの英語やフランス語風の地名には少々反発を感じますし、あまりそうした地名の由来には興味がなかったのですが、調べてみると結構面白い。カナダとカナディアンロッキーの歴史が見えてきます。
昨日はロッキー辞典に掲載するためジェームス・ヘクターという人物について調べていました。マウント・ヘクター、ヘクター・レイクなどの名称にその名を冠していますが、自らも地名の命名者。キャッスル・マウンテン、カスケード・マウンテンなどがヘクターさんによるものです。
ヘクターさんはパリサー探検隊(英国北米探検隊)の一員としてカナダ西部を探検。地質学者であり外科医であもあります。パリサー探検隊は英政府により派遣され、1857年から1860年にかけてカナダ西部を調査。特にカナディアンロッキーに大陸横断鉄道を通すためのルート探索が重要任務だったようです。
地質学者であるヘクターさんは大平原のあたりでは地質的に面白くなく退屈していたようですが、カナディアンロッキーに入るとむき出しの地層や岩を見て興奮。精力的に探査し、科学データの収集で大成果を上げています。ヘクターさんは学者として優れているだけではなく、同行者達を唖然とさせるほどの体力と行動力の持ち主だったとか。その上医者でもあるのですから、探検隊にとっては実に心強い人物だったのではないでしょうか。
探検隊は道なき道を行き、いくつもの峠を越えてカナディアンロッキー南部を精力的に探検。食料補給もままならない場所なので飢餓状態に陥ったことも。鳥や鹿などを狩りして食料としていたそうです(現在なら違法ですね…)。なんとも逞しい。
パリサー探検隊によりはじめてカナディアンロッキーの詳細な地図が作成され、数々の地名が命名されました。キャッスル・マウンテンのように形から想像されるものもありますが、多くは関係者や知人の人名に因んでつけたそうです。
現在のキッキング・ホース峠で、川に落ちた馬を助けようとしたところ馬に蹴られて気絶。一度は死亡宣告されたのですが、穴に埋められる寸前に息があることがわかり引きずりだされたとのこと。その際、ヘクターサンは声がでなかったのでウィンクをして生きていることを知らせたそうです。それは必死の試みだったのか、ユーモアだったのか知る由もありません。キッキング・ホース峠という地名はこのエピソードに因んでいます。
おめでとう75周年、おめでとう140周年
バンフ・アッパー・ホットスプリングスの温泉施設が9月15日で75周年を迎えました。75年という歳月は日本ではどうということはありませんが、国としての歴史浅きカナダにおいては75周年というとすごく古い、という感覚になります。ちなみにカナダの建国は、えーと…(検索中)
そうそう1867年。ということは今年は建国140周年ではないですか。7月1日のカナダ・デイには140周年記念のイベントまであったようです。知りませんでした。(汗)
「歴史浅きカナダ」と書きましたが、それはカナダという国家としてのこと。はるか昔からこの地には人が住み、豊かな文化を持っていました。そう先住民あるいはインディアンと呼ばれる人たちです。
そういえばバンフ・アッパー・ホットスプリングスも温泉施設としてはまだ75年の歴史にすぎませんが、先住民はそれより以前から神聖な場所として湯治に利用してきたそうです。